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彼はHの要求に一宇一句合致した最終案を返した。 十万ドルの賞金を、勝者が総取りすることにも同意した。
Sは話の取りまとめを急いだ。 彼はLに連絡をとったが、返事はすぐには返ってこなかった。
しかしベルモント競馬場の責任者Wもこのアイデアに賛成し、正式な申し出をする前に乗り越えなければならないハードルは、ベルモントパークの監督行政機関であるウェストSは、すでにベルモント競馬場の経営陣を急き立てて、対決の手はずを整えさせていた。 もしこの段階で話が立ち消えになったら、組織内での彼の立場はなくなってしまうだろう。

大衆の反応も、もうひとつの問題だった。 Hがマスコミにリークしたのはまちがいなかった。
全国のファンは大いに沸き立っていた。 ニューヨーク競馬委員会のオフィスには、この計画に喝采を贈る電報が殺到した。
新聞はマッチレースの可能性に関する記事やひとコマ漫画でもちぎりになった。 Sのオフィスの電話は、一瞬たりとも鳴りやまなかった。
ベルモント競馬場はすでに、レースを全世界に実況中継したいと申し出てきたCBSとの話し合いを開始し、同局は2千万台のラジオがこの放送にダイアルを合わせるだろうと予測していた。 もしこの段階で話がつぶれたら、大衆がベルモントパークに激しい反発を示す可能性は大だった。
だめ押しでHは、競馬界で今いちばん客を呼べる人気馬2頭の歴史的な対決が西海岸で行われる可能性を、それまで以上にほのめかすようにした。 もしそっちが実現してしまったら、ベルモントパークは史上最大の動員が約束されたイベントのホスト役を奪われるという屈辱を祇めることになる。
この遅れはきわめて重大だった。 その間にアメリカ全土の競馬場経営者は、自分たちがベルモントパークに出し抜かれたことを知った。
彼らは大急ぎでマッチレースの腹案をまとめ上げたので、HとLのもとには、突如として申し入れが殺到した。 ベルモントパークでのレースの実現を確定するべく、WがHに連絡をとろうとしていた。
その日、シカゴのアートン競馬場が6月、すなわちベルモントパークの何か月も前に、十万ドルの賞金でマッチレースを行いたいとHとLに正式に申し出た。 Hはベルモントパーク側を牽制する意味で、どんな提案にも耳を貸すと公言していた。

すべての目はLに向けられた。 彼もやっとのことで、交渉を受ける気になっていた。
4月6日、彼はウォーアドミラルをベルモント競馬場に移送した。 翌日、彼はSに電報で、「明日の朝そちらに行く」と伝えた。
だがLもまたベルモントパークをもてあそんでいるようだった。

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